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爆クラ<第6夜>「脱原発クラシック 〜曲たちは警鐘を鳴らしていた!」ゲスト:鈴木淳史


「父さん 父さん 聞こえないかい   魔王が小声でボクに言うのが」

「落ち着くんだよ なんでもないよ。枯れ葉にざわつく風の音だよ」

 ゲーテ「魔王」

 3.11の震災と原発事故から、はや半年以上がたちました。のど元過ぎれば熱さ忘れる、という国民性も、さすがに今度ばかりはなりを潜め、表立っては平穏でも、個人的にいろいろと行動を起こし始めている人が多いように思います。


 録音クラシック音楽を爆音で聴く「爆クラ」。今回のゲストは、快著『クラシック批評こてんぱん』などで名高い音楽評論家、鈴木淳史氏。彼から上がってきたテーマは、ずばりこれ!!


 爆クラ<第6夜>「脱原発クラシック 〜曲たちは警鐘を鳴らしていた!」


 クラシック音楽は、いかに原子力を描いてきたか、ということを耳で体験する試みです。水や火や風のように自然界にあるパワーと異なり、人間が科学を通じて作り出してしまったエネルギーである原子力。 1960年前後の文化フィールドを背景に多く生み出された現代音楽作品には、そのとんでもないパワーへの”畏れ”をクラシック音楽の音響的挑戦で描いた傑作が多く、その響きに、3.11以降の現実に生きる私たちの耳は何を読み取るのでしょうか。今、問われている原子力とエネルギーの問題を、時代性とともにクラシック音楽の力を借りて、さかのぼって検証していきます。


 市民革命の気風を音楽に込めたベートーベンや戦後の東洋思想ブームを象徴したジョン・ケージなどの例にもれず、 クラシック音楽はいつの世も時代と密接に関わってもきました。音楽評論家、鈴木敦史氏のさすがの豪腕セレクションにて、クラシックはいかに原子力を描いてきたか、を紹介していきます 。


 映画「原子力発電の夜明け」中、臨界シーンに登場する 山本直純作品、という直裁なものから、広島と長崎に落ちた原爆の脅威を前衛的な音響技法で描いたといわれるペンデレツキやシュニトケといった現代音楽作曲家たちの作品たち。そして、核の落とし子である「ゴジラ」を描写して伊福部昭は、あの印象的なオーケストレーションで大衆を魅了していきました。そして、古典の分野でも、ゲーテの詩にシューベルトが曲をつけた歌曲『魔王』の内容は、目に見えない魔王に怯える子供と、それを気の迷いとして聞き入れない父親の悲劇、というもので、これまさに、現在の原発を巡る世論のせめぎ合いの人間心理ともいえるものです。


 それらの作品たちに色濃く感じられるのは、暴走すれば自分たちの制御能力をはるかに超え、兵器となれば大変なことになる原子力への”畏れ”というもので、クラシック、現代音楽がそこをどう表現してきたか、というもの。それら、オーケストラの音響成果というものをじっくりと体験してください。


 教養としてのクラシックではなく、ドミューンに親しんだクラブ耳を持つ人にこそ体験してほしい、この爆音音浴。録音とクラブ音響という現代のテクノが入ってこその、音と脳と身体とのセッションを堪能していただければ幸いです。



曲目予定


●山本直純:映画「原子力発電の夜明け」より臨界シーン(映像)

●J.シュトラウス:ポルカ・シュネル《起電盤》/爆発ポルカ

●シューベルト:魔王

●ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア(管弦楽版)

●ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱付き》

●モーツァルト:レクイエム+ノーノ:広島の橋の上で

●ペンデレツキ:広島の犠牲者のための哀歌

●シュニトケ:オラトリオ《長崎》

●伊福部昭:映画「ゴジラ」の音楽

●ヴァン・デ・ヴェイト/チェルノブイリ


ゲスト

鈴木淳史(すずきあつふみ)

クラシック音楽評論家。1970年生まれ。法政大学日本文学科卒業後、主にクラシック音楽に関する私批評を展開。著書に『萌えるクラシック―なぜわたしは彼らにハマるのか 』『わたしの嫌いなクラシック』『美しい日本の掲示板―インターネット掲示板の文化論 』(以上、洋泉社新書)、『「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション 』(中央公論新社)、『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社文庫)、『不思議な国のクラシック―日本人のためのクラシック音楽入門 』(青弓社)ほか多数。

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