top of page
爆クラ! アースダイバーvol.3 logo(黒).png

爆クラアースダイバーvol.3

「トンネルのクラシック」

〜暗闇で聴く打楽器、声楽、器楽、そしてオーケストラの音響〜
in 愛岐トンネル群

2019年11月17日(日)

愛知県春日井市・愛岐トンネル群

Text:吉岡洋美 Video:Wenbin

 クラシック音楽を爆音で体感する——。ライヴハウスのスピーカーでクラシックを大音量再生し、音楽の新しい聴き方をアプローチし続けて来た湯山玲子主宰のトーク&リスニングイベント「爆音クラシック」。この“爆クラ”のキーワード「体感」の深層部により迫るのが「爆クラ アースダイバー」だ。クラシックの定石空間であるコンサートホール、爆クラの本拠地ライヴハウスさえも離れ、様々なシチュエーションにサウンドシステムを持ち込みクラシックの「音」を放つという試み。日本が誇るオーディオアクセサリーメーカー、ACOUSIC REVIVEの代表で、音響を手掛ける石黒謙と湯山がタッグを組んで生まれた企画である。これまで、第1回は岡山の瀬戸内海を走る船の中、第2回は東京・谷中の昭和の応接間文化を想起させる古民家(彫刻家・故平櫛田中のアトリエ)と、ことごとく独創的な場で実現されてきた。過去2回ともに、空間と音響の力のなかで味わう音楽体験は、湯山言うところの「その土地の温度、空気感、匂い、土地の記憶」と横並びに音楽を存在させ、クラシック音楽をただ「感じる」音楽へと、聴衆者の耳、体を解放してきた。


 そして今回、第3回目の舞台として実現したのは、愛知県春日井市の愛岐トンネル。1900年に開通し、1966年に廃線となった旧国鉄中央西線跡に残されたトンネル群だ。廃線以降、渓谷の藪に埋もれて存在さえ忘れ去られたころ、地元の古老たちの記憶を辿り40年ぶりに発掘されたといういわくを持つ。その全13基のトンネルの中から現在一般公開(期間限定)されている4つのトンネルを使い、それぞれにテーマ設定されたクラシックの生演奏を観客たちは移動しながら体験するのである。

bakuclaed3_1.jpg

 秋の青天にも恵まれたこの日。会場のトンネルを目指して、渓谷の勾配に貼り付くよう設置されたウッドデッキを上ると、山の樹々が茂り、眼下には一級河川の庄内川が広がるという山と川に囲まれたロケーション。そして、その先には威風に満ちた赤レンガのトンネルの入口。このトンネルこそ最初の「ライヴ会場」、3号トンネルである。名古屋のパフォーマーたち(堀江善弘[Dance]、鈴村由紀[Drawing]、新井田文吾[Bass])がトンネル前に集った約300人の来場者に向けてウェルカムパフォーマンスを披露した後、いよいよ「トンネルのクラシック」スタートである。

bakuclaed3_2.jpg

 「3号トンネル」の設定テーマは「打楽器と声の闇」。パーカッション界の鬼才、池上英樹の打楽器と、プリミ恥部名義で活動する白井剛史のヴォイス+身体パフォーマンスがコラボレーションする即興プログラムだ。


 全長76mの3号トンネル内はわずかな照明があるものの想像以上に暗い。先ほどまでの陽が降り注いでいた外界と打って変わって、冷たい空気と温度。さらに、進むほどに外の音も遮断され、時間感覚が一瞬にして朧げになる。そんなトンネルの異空間を感じ入っているうち、出口の光のほうからかすかに聴こえる風のような地下水のような不思議な反響音。「ゴ…ゴゴゴゴゴゴ……」と鳴るほうに向かってみると、体の奥から絞り出すように声を発する白井と、彼を先導するように鳴りものを静かに叩く池上英樹の姿。ともに闇と同化するような黒の上下に緑の蛍光ストリングスが施された出で立ち。所狭しと二人に見入る観客たちの間を探るようにひそやかに音を出しながら歩き進む池上と白井。すると、ポイントを見つけたかのように白井が立ち止まり、トンネル中に轟くような声量を発しはじめる。そして、場の空気、エネルギーをつかむように両手を大きく空に掲げ、正に“プリミティヴ”な身体パフォーマンスを加速。「ウォーーーーーー!」と、地から吹き出すようなその雄叫びに呼応し、池上はバスドラム、テナードラム、ジャンベ、カホン、ブリキのバケツ等々、トンネル内の要所要所に設置された打楽器から、その瞬間瞬間をチューニングするように「叩く」モノを選び、そして「叩く」。もう一人のヴォイスと聴き紛うような音でカホンを操り、空間の空気を大きく切り裂くようにバスドラムを響かせ、そして強弱つけて響き渡る唸り声のような白井のヴォイスはなおも止まらない。かすかな照明で二人のシルエットは赤レンガに大きく浮かび上がり、気がつけばトンネルは太古の洞窟の風景へと見事に変貌した。居合わせた観客たちを縫うように動きまわるその姿は、まるで洞窟の岩場を自在に移動する原始の二人。生への歓びと祈りに立ち返るような、言葉も旋律もない「音」と「表現」の原初的なエネルギー。時間にして15~20分だったか、スタートからなんとも濃密な演目である。パフォーマンスの途中、目前で繰り広げられる非日常にブランケットを頭から被り、母親の横でおびえる小学生の女の子。彼女が体験したこの闇の記憶が、深いイマジネーションとしていつか開花する日がくるやもしれない。とっさにそんな思いも胸によぎる。

bakuclaed3_3.jpg

 初っ端から「音とトンネル」の装置が作り出す不思議な高揚を感じながら、2つ目のステージ「4号トンネル」に移動。渓谷の一本道を10分かけてハイクするという立派な山歩き。今回の「爆クラアースダイバー」はトンネル体験のみならず、この秋の自然に包まれた山歩きも重要ポイントだ。ゆえに観客たちは皆、アウトドア仕様の格好で、各自簡易イスも持参である。ちょっとしたフジロック方式とでも言おうか。そんな参加意識も相まり、1つ目のトンネルを体験したこの時点で「行く手にどんなトンネルがあり、何が起こるのか」冒険心も加味されていく。

bakuclaed3_4.jpg
bakuclaed3_5.jpg

 そうして歩いていると、山道の先から段々と聴こえてくる美しい女声のハーモニー。見知らぬ自然のなかで、どこからともなく清らかな女性の歌が? そんなローレライ的磁力に導かれるように林の道を抜けた先、忽然と目前に表れたのは…。荘厳なレンガに囲まれた暗闇の中央で、神聖なミサが繰り広げられていたのである。そう、この4号トンネルのテーマは「合唱の闇」。ヴァチカン市国にも招聘された名古屋芸大・女声アンサンブルMarimo座による賛美歌、宗教歌のアカペラプログラムだ。7本の燭台の上で揺れる蝋燭の灯りが、白いローブを纏った13人の女性を静かに照らし、足元にはキャンドルで十字架が作られている。彼女たちを囲むように座る観客も静かに祈りを捧げる敬虔な信者の如く。彼方に見える出口の光をバックに、トンネルの黒、ローブの白、揺らめく蝋燭のかすかなオレンジの風景は、渓谷に突如出現した秘密教会のよう。ルネサンス期、そして現代の作曲家が作った賛美歌5曲を、無伴奏の美しく澄みきったハーモニーで歌うMarimo座の女性たち。トンネルという暗闇の筒の中で彼女たちの声は美しく反響し、それは文字通り“静謐”という言葉が胸の奥に染みるような純度の高い響きであった。

bakuclaed3_6.jpg

 Marimo座の秘密の教会を後にし、3つ目のステージ「5号トンネル」のテーマは「フルートとギターの闇」。その表現力とスキルの高さで若手第一人者とされるフルート奏者の泉真由と、彼女とユニットを組み、自身も国内外で活躍するギタリスト松田弦のデュオによるパフォーマンスだ。


 この頃になると、2つのトンネルと移動という名のハイクを体験した観客たちも場慣れして余裕も生まれる。それがトンネル内に空気として表れるのがまた面白い。暗闇の中に漂うどこかリラックスしたムード。そんな中、トンネル中央に表れた演奏者の泉と松田の二人は、なんと発光していた……! 


 実は今回、トンネル内の闇を生かすため、照明を極力使わないことも大切なコンセプトだった。闇を損なわず、しかし演者が楽器を扱える最小限の灯りを確保するにはどうすればいいか。そこでプランされたのが、演奏者がLEDを施した衣装を着用する案。そして、この日のため湯山が白羽の矢を当てた若干18歳の服飾クリエイター、上條榛花がLEDを宝石のように組み込むオリジナル衣装を短期間で作り上げた。スカート部の内からLEDを光らせた白のオーガンジーのミニドレスを纏った泉は、暗闇の中に表れたフルートを持つ妖精のような出で立ち。松田も上下黒の衣装と自身のドレッドヘアにもLEDがセットされ、白く発光する二人の存在がトンネルをどこかスタイリッシュな空間に導く。奏でられたのはオリジナルアレンジによるドビュッシー「夢」、武満徹「海へ」より〈白鯨〉、バルトーク「ルーマニア民族舞曲」とタイプの異なる3曲。正に夢のような柔らかな響き、白鯨の鳴き声を想起させる深い響き、リズミカルで情緒的な旋律と、シーンは幽玄に変化していくが、一貫してフルートの清澄感溢れる響きはトンネルの冷たい空気と共鳴するように澄み渡り、ギターは清廉な音を紡ぎ出す。LEDの光とともに空気感と音の透明度がトンネルの中で一体化したような精緻な空間、パフォーマンスが創り上げられた。

bakuclaed3_7.jpg

 さて、舞台はいよいよ最後のトンネル「6号トンネル」へ。全長333mと、4基のトンネルの中でも最長を誇り、しかも途中からカーブする形状。ゆえにこれまで確認できた出口の光もここでは見えない。まるで行く手が塞がれるように続く内部。ここに登場するのが、この日のためにスイスから帰国したという世界的ソプラノ歌手、林正子。彼女の無伴奏による生歌そのものがこの場で披露されるのだ。


 かろうじて足元が分かる程度の薄暗いトンネルの中、蝋燭に囲まれたシンプルな木のステージがひとつ。これを取り囲むように観客は静かにプリマドンナの登場を待つ。そして、そして。闇のなか表れたのは、中世を思わせるような黒白のロングドレスに、その全身を発光パールのようにあしらったLEDに身をつつむ林正子、その人。この大胆な衣装も上條によるものだ。頭にもLEDのティアラが飾られ、ドレスの裾を確認しながらエスコートされ進むその姿は、まるで地下に幽閉された中世ヨーロッパの姫の脱出劇のよう。さらにステージに上がれば、LEDの光に本人自ら発する存在感が増大され、その立ち姿だけで目が奪われる。「こんな残響のところで歌うことはあまりないので、変わった曲を選びました」と、これから歌うラヴェルの「2つのヘブライの歌」より<頌栄の祈り>と<永遠の謎>の2曲を紹介したあと、ソプラノに移った第一声のその圧倒感たるや。トンネルの全ての暗闇を制圧し、全ての空気を震わせるかのようなソプラノ。それをこの至近距離で体感するとはこういうことかと、観客全員でかたずを飲む一体感。ラヴェルの祈りの歌を揺るぎなく歌うその姿の神々しさを見上げるように聴き入り、見入る観客。その光景はさながらエル・グレコの絵画を彷佛とさせるような、と言ってもオーバーでないほどの異世界感。あまりにもの観客の集中力に、1曲目を歌い終わった林が「もっとリラックスして聴いてくださいね」と思わず声をかけるほどである。一瞬その言葉で柔らかな空気が流れるも、次の歌がはじまると、またもや見事なソプラノが暗闇のトンネルの残響と一体化し、その姿はLEDの宝石で絶えず発光し、しかし闇も光もものともしない美しく力強い声は確固たる響きとなり、やはり聴衆は息をのみ目を見張る。そうした場の全ての要素が凝縮され、天の歌を地の底で体感、目撃しているような異次元レベルのソプラノステージ。こんなライヴ体験はジャンル問わず滅多にできない。まるで聖なるマリア様を仰ぎ見る羊になったような気分である。

bakuclaed3_8.jpg

 林正子の凄まじい余韻のまま、同じ6号トンネルの暗闇をさらに進む。待ち構えるのは「トンネルのクラシック」最後のプログラム。主宰者湯山玲子が選曲するクラシック楽曲を、石黒謙による極上サウンドシステムで爆音再生する試み。トンネル奥の薄明かりのなか、左右にスピーカーが設置され、その中央で湯山がラップトップから音源を吟味している。これに対面するように思い思いの場所に座る観客。さて、1曲目。あたかも汽車が線路を力強く走り続けるようなストリングスのミニマル音。スティーヴ・ライヒの「ディファレント・トレインズ」で幕開けである。そう、ある時期まで今いるこの場所で確かに汽車が走っていた。亡き中央西線へのオマージュの心憎い選曲である。それにしても、サウンドシステムの音響が素晴らしい。「古いトンネルは、煉瓦を手作業で張り詰めたランダムな凸凹が絶妙な拡散効果を発揮」とパンフレットで石黒が解説しているように、ストリングスの束がそこで噴出しているような臨場感。ところが、それはほんの序の口だった。聴き進むにつれてこの音響と湯山の選曲、トンネルという環境の三位一体は凶悪度を増していく。ライヒのあとにカラマーノフ「ピアノ協奏曲」と続き、アグネス・バルツァのソプラノによる「カルメン」の〈ハバネラ〉からメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」にカットイン。エネルギーの強いこの「トゥーランガリラ交響曲」の響きの恐ろしさと言ったら。曲のMAXの盛り上がりとともに気がつけば体が爆音の振動を受け、ビリビリと内まで震えている。こんな体の響き方はベースミュージックをレゲエサウンドシステムで浴びたとき、または音響系電子アーティストの大音量ライヴパルス音を電気風呂の如く浴びた以来。なんでも、トンネルという筒状の場所そのものが巨大なひとつの共鳴管で、オーディオ再生すれば低域が大スケールで再生されるという。さらに今回は特別なアンプも稼動させている、と。なるほど、体に恐ろしく直球に作用されるわけである。この三位一体攻撃はその後もマーラー「交響曲第9番第1楽章」を荘厳なスケールで再生し、いよいよラストはストラヴィンスキーの「春の祭典」で大爆発。全6曲を完走し「トンネルのクラシック」は大団円のうち幕を閉じた。

bakuclaed3_9.jpg
bakuclaed3_10.jpg

 13時にスタートし16時までの3時間。原始の洞窟、静謐なミサ、フルートとギターの作り出す透明度、エル・グレコの世界の異次元ソプラノ、そして実は凶暴なクラシック音響。この数時間で体験した4つのトンネルのそれぞれの異空間は、見事なパラレルワールドの旅であり、そこに通低するのはそれぞれの音楽の根源に触れるような旅だったということ。しかし思い返すに、ただトンネルと演者がそこにいた、という話なのである。突飛なシチュエーションのようでいて、実はシンプル極まりなく、だからこそ、来場者は目前で行われた音楽をトリガーにして、自分のイマジネーションを自由に主体的に巡らせることが出来る。そして、その湧き出るイマジネーションの集合が、それぞれの場をさらなる次元へと押し上げてもいるのだ。


 特筆したいのは、ともすれば実験的、アート的とも言えるこの企画をマニアックなものに落とし込まず、エンタテインメント性ある空気に押し広げていること。このセンスをかたちにしている湯山の功績は大きいと思う。間口は広く奥行きは深く。そして、この試みに扉を開けて全力で協力する地元の方々の姿に、心から感銘したことも付記しておく。

bakuclaed3_11.jpg
bottom of page