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​​市民文化芸術鑑賞事業

湯山昭の音楽

What The World Needs Akira Yuyama

2021年2月27日(土)

岐阜県高山市・高山市民文化会館大ホール

ポピュリズムの枠を外した、歌曲、器楽曲の素晴らしさ

 

  「あめふりくまのこ」や「おはなしゆびさん」といった童謡、合唱曲、150版の重版を重ねる『お菓子の世界』などのピアノ曲集などが、テレビ、ラジオや教育の現場で、多くの人々に親しまれている湯山昭。戦後のクラシック作曲家の中で一番大衆に愛された存在であるといっても過言でないだろう。

  このたびのコンサート「湯山昭の音楽」をプロデュースした私は、その湯山昭の長女であり、それこそ母のお腹の中にいるときから、彼がピアノでもって何度もフレーズや和声を重ねて曲を仕上げていく様子を聴き続けてきた。10年前から、ほぼ月一のペースで、クラシック音楽の新しい聴き方を提案する、「爆クラ」というトーク&リスニングイベントを続けており、気がついてみると、クラシック音楽に関わっている私が、もし、湯山昭のコンサートをプロデュースするとしたら、その内容は、あまり世の中に出る機会がない、歌曲や器楽曲のレパートリーを集めたいな、とは、ぼんやりと考えていた。

 父・湯山昭は、多くのクラシック作曲家が、大学で教えたり、作曲以外で生活費を賄う事をせずに、筆一本でキャリアを築いてきた。それゆえ、作曲数は多く、前述したヒットチューンの一方で、現代詩人と取り組んだ、アブストラクトアートのような肌触りと時間を連れてくる歌曲、個性の強いふたつの楽器のダイアローグのような器楽曲などを世に出している。

 湯山昭作品は、湯山節ともいえる、明るくて変化に富んだ美しいメロディーが魅力だが、その音楽性が“ポビュリズム”という枠を外したとたんに、緻密でモダンな和声の響きや、大胆なアイディア、ポリフォニーのスリリングな展開、音楽の愉楽に躊躇しない自由で肯定的な音世界が怒濤のごとく展開していく。ドビュッシー、ラヴェルのフランス音楽的な和声感と抒情は、彼の作品の特徴だが、そこにセリーなどの現代音楽的モダンなエッセンスやポリリズム感覚も加わった世界は、本当に魅力的なのだ。

飛騨・高山市文化協会の方から、コンサートの逆提案

 

 常日頃から、そういった、知られざる、現代クラシック音楽の作曲家としての、楽曲たちを紹介したいと思っていたのだが、それを実現できる機会がやってきた。


 飛騨・高山の文化協会のメンバー、平川治氏に、前述した「爆クラ」のスピンアウト企画である、クラシック音楽を野山に放つ、言わばクラシック版のレイヴとも言うべき、サイトスペシフィック・アート「爆クラアースダイバー」をプレゼンしたところ、彼に逆提案されたのが、高山市民文化会館の大ホールを使っての、湯山昭作品のコンサートだったのだ。ちなみに、湯山昭と飛騨・高山の縁は、伴侶であり、私の母の湯山桂子の故郷であるという点。湯山昭は当地をしばしば訪れ、学校の校歌を依頼されたり、委嘱作品「思い出の高山」という作品を作っている。

 現代クラシック音楽作曲家としての、湯山昭作品を、今、クラシック界で注目の演奏者たちにプレイしてもらう。ということで骨子は固まり、公演日が2020年3月15日に確定したのだが、コロナ禍のあおりを受け一年延期。そして、ようやっと翌年である、2021年2月27日に「湯山昭の音楽」というコンサートが実現することとなった。

 

 なお、残念ながら、湯山昭は、昨年晩秋に心臓カテーテル手術を行っており、長時間の移動と高齢者のコロナ感染の心配から、現地入りは叶わぬことになり、当日はロビーでのビデオインタビュー出演となった。

モーツァルト的なスピリット、70年代のクール、そして、ピアノの菓子箱

 

 第1部の初っ端は、湯山昭が藝大作曲科在学中に日本音楽コンクール一位次席を受賞した、「ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲」。メロディー、リズムの妙、フランス近代っぽさ、ポリフォニックな配置などなどと、湯山昭の音楽の原点的な作品である。作曲時に湯山昭は21歳だったが、奇しくもヴァイオリンの福田廉之介も21歳。ピアノは新垣隆。とにかく、福田君の曲に対する解釈と感性が素晴らしい。湯山昭は日頃、モーツァルトを大リスペクトしていたが、この曲には、音楽評論家の小林秀雄がモーツァルトの曲を評した「疾走する哀しみ」というべき感性が乗り移っているかのよう。作曲家と演奏者だけが結託したこの「文化系男の青春ロマンチズム」というべき世界が出来上がっていた。

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 お次は、オペラユニットTHE LEGENDのメンバー、吉田知明、志村糧一、内田智一による歌曲集「愛の主題による三章」と、菅原浩史バリトン独唱の「電話」という男声独唱オトコ祭り。愛の〜は、保冨庚午のアボリネール風味が効いたソリッドな現代詩に、湯山昭のメランコリックなセンスが光る、クールで硬質な歌曲集。この曲が出版されたのは、1973年。金井克子の『他人の関係』がヒットし、安部公房が『箱男』を発表した年であり、この歌曲集にも、それらと同種の都会志向とアンチ・ロマンの同時代センスが漂っている。バリトンの独奏会などでよく演奏されるのが「電話」。これ、オチのあるモノオペラ的なコミックソングであり、現代ではこういったクラシック音楽の新曲は、まあ、作られないだろう。1970年代は、実は今よりもクラシックは外に開いていたのだ。THE LEGENDのメンバーは、自分たちの企画するオペラや、ディナーショウも含め、コンサートの場数と経験がケタ違いに多い。日本の声楽家のコンサートは、ともすると、コンクールに向けて鍛えられ、音大で良い成績を取るために努力してきた結果発表にしか見えない場合が多いのだが、彼らの表現には、観客とその場を作り上げようとする、真の音楽エンターテイメントが存在する。

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 第1部ラストは、作曲家としての活動はもとより、ピアニストとしてもその腕を評価されている新垣隆による、ピアノ曲集『お菓子の世界』からのセレクト。ご存じ湯山昭の最大ヒット曲集は、現在150版の重版を重ねており、色とりどりの菓子箱を開けたような楽しさも相まって、ピアノの発表会では可馴染みの曲が目白押しだ。新垣隆は湯山昭ファンを自認しており、「爆クラ」にゲスト出演した際に、その場で即興的に「バウムクーヘン」を諳譜披露していただいたことがあった。湯山昭作品は、どうしてもリズムやメロディーのインパクトが強いので、演奏者がノリノリになってしまい、表現が単一なってしまうキライがある。しかし、新垣隆の演奏は、俯瞰で見た“引き”の感覚があり、楽曲が隠し持つ魅力を知的に引き出していた。

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自家薬籠中のフェミニン、異種楽器のポリフォニーな嬉遊曲、

そして、リビドー爆発の怪作

 

 休憩をはさんで、第2部の初っ端は、ソプラノ林正子さんの独唱で、歌曲集『子供のために』と『カレンダー』からのプルアウト。一部の男声声楽曲と違って、女声になると湯山昭は、本領である美メロ全開で、エレガント、でコケティッシュな魅力を振りまく。湯山昭本人はというとは、行動的でエネルギッシュ、ケンカも辞さずの男性的なパーソナリティーなのだが、こういった、女性的なナイーヴかつ、エモーショナルな表現は独壇場だ。観察によって女性を描くというよりも、彼の内面に住む、少女や貴婦人が音楽によって放たれているという感じであり、感性豊かな女流詩人と組むとそういうセンスが全開になるのがおもしろい。フランス語にして、歌っていただきたいようなシャンソン的な曲もあり、ラヴェルの歌曲集ともオーバーラップする。「これが日本語の歌詞を歌う、2回目の機会」だという、林正子の、それだからこその意識的な日本語と声楽発声の妙が聴き所。弱音を印象的に響かせるテクと、感情の綾を巧みに現すその成熟した語り口は、「映像」を喚起させる。

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 お次はこのYouTube時代に、演奏が世界中でバンバンアップロードされている「マリンバとアルトサクソフォーンのためのディヴェルティメント」。私自身、思い出深い曲で、16歳の時、渡辺貞夫のサックスで録音したときの現場に立ち会っている。当時、ナベサダは人気があり、FM東京の「渡辺貞夫のマイディアライフ」のリスナーだった私は、確か、このサックス人選が 湯山家の夕食の話題に上ったときに、猛プッシュした覚えがあるのだ。今回の演奏者は、まさに、この曲を演奏するには、世界一なのではないか、と思われる、アルトサックス上に野耕平、マリンバに池上英樹という布陣。「湯山昭音楽をタトゥーとして刻印」するがごとく、まさにこの曲を乗り物に、自由と官能とパッションの世界に船出していくようなセッションが実現した。もう、この域になると、演奏を「合わせている」のではない。同じ到達点を見ていて、そこにふたつの音楽がパラレルに交差していく感じ。ダンスでいうと、シルヴィ・ギエムとアクラム・カーンのアンサンブルのごとくの出来だった。今後も演奏していただく機会をつくりたいと強く願い、また、その度にどんな仕上がりを見せてくれるか、が本当に楽しみである。

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 さて、お次はTHE LEGENDのメンバー、総勢9名の男声アンサンブルによる「ゆうやけの歌」。この曲、もともとは湯山昭の唯一の男声合唱曲。合唱コンクールで取り上げられることも多く、合唱マニアの中では名門、会津高校、崇徳高校の演奏が語り継がれていたりもする。川崎洋の歌詞は、10代青春期の男の子たちが持つ莫大なエネルギー、リビドーが、諧謔とユーモアー、ロマンチズムとともに描かれ、「あなたの太腿なでさせて〜」といった歌詞が、学校コンクールの中で存在し得た時代の寛容性に驚いてしまう。湯山昭はその歌詞に込められたバトンを受け継いで、まさにフルスロットル展開。湯山作品唯一のアウトレイジ風味抜群の楽曲は、ショスタコーヴィチばりの暴力性と哄笑感覚が、時折、現れる叙情性と交差して重層的な響きを実現している。今回のザ・レジェンド版は、その合唱譜を、9声の男声アンサンブルで再構築したもので、磨き上げられた、ベルカントの演奏は、和声感や音楽的な仕掛けがより鮮明になり、合唱の大迫力とはまた違った、切れ味の良い、ビビッドな表現となった。合唱曲の声楽アンサンブル化。これ、他の湯山昭の合唱作品でも、トライしていく所存。

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 しんがりは、高山市の開業医であった三島健吉氏の作詞による、ご当地ソング「思い出の高山」を同じくTHE LEGENDのメンバーにて。本来ならばこの曲を、高山の地元の合唱団が歌うはずだったのだが、なんとこの冬にクラスターが発生してしまったことから、このような形になった。お客さんとして来ていただいたメンバーの方々は、きっと心の中で合唱してくれたに違いない。

 

 さて、私はナビゲーターとして、コンサートの進行役を担当。全ての楽曲解説と演奏家のインタビューを行った。今回の選曲は、決して聴きやすいタイプのものではないので、観客が付いてこられるかどうか不安だったが、みなさん、非常に熱心に聴いていた。

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 飛騨・高山から依頼がなければ、実現しなかったこのコンサート。本当に演奏者の全てが素晴らしく、現在、ライヴCD、東京での再演が企画中である。

 何とか、それまでにコロナの状況が好転していることを、切に祈っている。

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湯山玲子(ナビゲーター・爆クラ主宰)

 湯山昭さんのコンサートではきっと「あめふりくまのこ」といった、慣れ親しんだ童謡がかかるのだろうと高をくくっていたのだが、裏切られた。いきなり正統と現代っぽさを感じさせるヴァイオリンとピアノの小奏鳴曲で幕を開けた。続く「愛の主題による三章」は、お子様の聴衆も多いのに、と心配になるほどの大人の男女の物語だった。「電話」では、オヤジギャグが炸裂するし、ぶっ飛んだ予想外の事態の連続。心は揺さぶられっぱなしの不穏なコンサートだった。ピアノ曲集「お菓子の世界」で私の心はやや平穏をとり戻したが、マリンバとアルトサックスの超絶技法で、再び荒波の大海に放り出されてしまった。オペラユニットTHE LEGENDのイケメンぶりに歓喜した途端、「ゆうやけの歌」9声パンチでマットに沈められてしまった。へとへとで迎えた「思い出の高山」。浮かび上がる美しい高山の景色に癒やされて、終幕を迎えることとなった。
 湯山さんの音楽って、映画、CMいろんなところに影響与えている。すごい音楽家だったって再認識させられました。玲子さんありがとうございます。

美濃口 正(共同通信社名古屋支社経済部長)

 10数年前、湯山昭「女声合唱のためのシャンソネット  I(愛)」という合唱曲集と出会いました。もちろん「あめふりくまのこ」や「おはながわらった」などの童謡は知っていましたが、優しさや哀しさの入り混じった大人の愛の歌の作曲者が同じ方だとは想像できませんでした。その後、湯山先生の色々なジャンルの楽曲を知るところとなり今回の演奏会、その作品の数々が玲子さんのプロデュースでどのように届けていただけるのだろうかととても楽しみにしていました。

 玲子さんの切れのあるトークと素晴らしい演奏者の皆さんの共演、しかも生で……心地よい夢の世界にいるようでした。そしてお父様への尊敬と愛が溢れていて嬉しかったです。

 ご両親とご一緒に高山へお越し下さい。「思い出の高山」をみんなで歌いたいなー。

谷口 津弥子(国際ソロプチミスト高山会員、高山市文化協会理事)

 長男がピアノの発表会で「バウムクーヘン」を弾かせてもらって、パステル色のような美しくて軽快な曲が素敵で毎日練習するのを聴くのが楽しかった思い出があり、今回、新垣隆さんの「バウムクーヘン」が聴けてとても嬉しかったです。そして多彩なアーティストの方々が、それぞれの素晴らしいパフォーマンスで私たちを湯山昭の世界に引き込んでくれました。何より、進行役を務められた湯山玲子さんの湯山昭愛が詰まった司会がグイグイとコンサートを高みに引っ張っていったように感じました。コロナ禍にも関わらず、この日を待ちに待ってたくさんのお客様が聞きに来られ、改めて音楽の力を感じました。湯山玲子さん、是非また高山でカッコいいコンサートを開いてください。

日下部 暢子(日下部民藝館)

 有名な作曲家・湯山昭の音楽についてほとんど知らないんだなというのが、この濃密なコンサートを聴き終えてまず思ったことだった。
 幕開けの「ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲」は、新垣隆さん、福田廉之介さんの2人のともしびで安心して歩く感覚だったが、それはそこまで。その後は激しく揺さぶられることの連続だった。
有名な「お菓子の世界」ですら、新垣さんの即興感あるテンポの揺れ、緊張感あふれる和音の出現に、危ない大人の甘さを感じてはらはらした。
 THE LEGENDが歌った「愛の主題による三章」や「ゆうやけの歌」は、ずっと悪い夢を見ているようだった。音を通して眺める20世紀後半の都会の孤独、分裂したまま統合されない人間の衝動。これが寺山修司の何かだったら心構えができただろうが、この日に免疫はなかった。そのせいでその晩、久しぶりに本当に悪夢にうなされてしまった。
 今回、湯山作品が60年代後半から70年代の他のカルチャー動向と強く関連していることがわかった。作曲家が同時代の何に同調し、そこから離れて表現しようとしたことはなにか。作品を通してもっと知りたい、考えたいことがたくさんできてきた。今後の企画に期待したい。 

南 拡大朗(中日新聞記者)

 湯山玲子さんの仕事は、「いま」と「ここ」という固有の地点をクラシックの楽曲を使って徹底的に観測し読み込む作業だ。
 父である湯山昭さんの楽曲を現代的な手法で再解釈し、固有の場所性に着目し、あたかもそこの地霊(ゲニウスロキ)を騒つかせ共鳴させる。
 湯山昭さんが43年前に作曲した「思い出の高山」が、いまも北アルプスにエコーしつづけているはずで、今回そのエコーに新しい演奏で被せて見せた。
 「現在」という時間を空間化し、そのなかに「過去」も「未来」も含まれていることを証明。「過去」を何度も救済。そして我々は「未来」からすでに影響を受けているという希望を見た。

​ヴィヴィアン佐藤(ドラァグクイーン、美術家)

 「湯山昭の音楽」は氏21歳のときの作品「ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲」というこれ以上ない選曲で始まった。フランス楽曲の繊細さ、軽妙さのなかに、後の湯山音楽で花開いていく、官能性やユーモア、ときに逸脱してしまいそうなほどの躍動感が現れている。これ以上ない選曲と言ったのは、この音楽会の構成はそれ自体が湯山音楽のとらえかたをリフレーミングする役割を果たしており、後半の「マリンバとアルト・サクソフォーンのためのディヴェルティメント」や「ゆうやけの歌」にたどり着く頃には、楽器の組み合わせ、演奏者・歌唱者の技巧、歌詞のイメージ力などに音で挑む作曲家としての湯山昭が像を結んでくるからだ。そして、聴き手はいとも自然に言葉を含めた音のみを体感することの楽しさに引き込まれていく。ぜひ、湯山玲子さんが熟慮されたであろうこの曲順で聞いてみて欲しい。

​西原 珉(曽根、東京家政大学造形表現学科准教授)

 才能ある父のもとで育った娘の複雑な感情と葛藤を時折吐露されていた湯山玲子さん。それを最高に優雅なかたちで復讐したのがこの音楽会でしょう。「世界で一番湯山昭の音楽を聴いた人間」である娘の解釈は、一曲一曲を簡単に消化させてはくれない多彩で濃厚なプログラムとしてあらわれていました。奏でられる音楽も、それを包む空気も、忘れられない体験となりました。

竹村 優子(幻冬舎 編集者)

 春を待ちわびた、北アルプスを望む古都高山で催されたコンサート、「湯山昭の音楽」。それは、まさに湯山玲子の原点であると同時にプロデューサー湯山の真骨頂となるイベントではなかったか。原点というのは、彼女の音楽DNAは湯山昭の曲に由来するものだから。そして、異種格闘技的で、ゴージャスで、過剰なステージ。これぞ、プロデューサー湯山の真骨頂。サティをつい連想させる湯山昭の躍動的でチャーミングな曲々と湯山玲子の絶妙なキャスティング・プログラミングの賜物だ。特に第2部の中盤から終盤はまさに疾風怒濤。こうして私も高山に暮らす人たちも、ステージの圧倒的な迫力に飲み込まれ、静かな興奮に浸りきることになった。このイベントが原点=真骨頂であったとすれば、キマイラ湯山玲子の到達点の一つとなったに違いない。しかし、だからこそ彼女の同時に新たな出発点にもなったはずだ。これから、彼女はどこへ向かうのか。そんなことまで考えさせれたのである。

藤井 達夫(政治学者)

 “湯山昭”という名前からは『お菓子の世界』や『こどもの国』などのピアノ曲集をまず連想してしまうが、今回の音楽祭は想像を超える多彩な作品群に驚愕。空間に拡散していくような豊穣な響きと旋律の抒情性の絶妙なブレンド、そして時にそれを裏切るような前衛性。湯山昭の音楽世界を心から堪能した至福の時間だった!!

山本 多津也(猫町倶楽部 代表)

 延期になってから、一年越しで楽しみにしていました!
 子どもの頃ワクワクしたピアノ曲集『お菓子の世界』でおなじみだった湯山昭さん、こんなに様々な曲を作られているのですね。
プログラムはベスト盤のようなバラエティ豊かなラインナップで、聖なるきらめき、リリカルな世界感にうっとりしたり、ダイナミックな濃密さに圧倒されたり(歌詞もすごかった!)、充実したひとときでした。難解であろう曲に、軽やかに没頭させてくれる演者のみなさま、本当に素晴らしかったです。
 世界観が目まぐるしく変わるベスト盤みたいなバラエティ豊かなラインナップ、美しく楽しくて、その余韻をつれて外に出れば、目の前には大きな満月が。音楽も旅もすべてが映画のワンシーンのようで、コロナ禍のなか、本当に夢のようなショートトリップになりました。
 それにしても『お菓子の世界』、タイトルのほとんどを娘の玲子さんがつけていたなんて! 「どうして太るのかしら」ってセンスありすぎです。

●ヴァイオリンとピアノのための小奏鳴曲
若き才能、福田康之介さん、素晴らしかった! 明晰で美しくて、熟練の新垣さんとのマッチングの妙。

●愛の主題による三章
きらめきを伴った聖なる響き。愛の不均衡、それぞれの個性。

●電話
表情豊かでコミカルな演技巧者に釘付け(オチはそれか!)

●ピアノ曲集『お菓子の世界』より
外国の童話のなかに迷い込んだような雰囲気。子どもの頃「ヌガー」や「鬼あられ」を聞いたときの驚き、ワクワク感を思い出した。響きの美しさに改めて感動。こんな音楽があふれていた家に育ったなんて羨ましい。

●歌曲集『子供のために』より
●歌曲集『カレンダー』より
トンネルのクラシックで魅了された林正子さん。今回は全く別の叙情性。歌詞のシーンが目に浮かぶ。うっとり。「あめふりくまのこ」を林さんで聴いてみたい。

●マリンバとアルト・サクソフォーンのためのディヴェルティメント
いやもう凄い。予測のつかないスリリングさ。圧倒された。あとでトンネルのクラシックでプリミティブな演奏をされていた方と聞いて、二度びっくり。

 

●ゆうやけの歌
見るからに個性派揃いのTHE LEGENDのメンバーがそれぞれの個性炸裂で歌い上げるさまが見事。あなたの太腿なでさせて~♪ 一度聴いたら忘れない。学生さんが歌っているのも聴いてみたい。身振り手振りもそれぞれななか、「電話」のときと打って変わって全然動かない右端の菅原さんに釘付け。

●思い出の高山
迫力のあとの、慈しみ。やさしいこの曲で終わるのが見事。高山の方はより感動したことだろう。

永坂 文(料理研究家、喫茶アミーゴ女将)

 今回、高山と湯山昭さんの結びつきを知り、その中でコンサートに足を運ぶことができたのは本当にラッキーでした。懐かしく新しく、軽快でどこまでもピュアに明るい。高山に来て、真っ白な北アルプスの山脈や美しい川の流れをいつまでも眺めていたいと思いましたが、コンサートもいつまでも聴いていたいと思いました。次回も楽しみです。高山と湯山昭さんの音楽をもっと知りたいと思います。

真脇 咲(会社員)

 「湯山昭の音楽」に、「学校で習う音楽」のイメージは、幕が上がってすぐに打ち壊された。「ヌガー」や「鬼あられ」といったお菓子の曲名と同じくジャズ風あり現代音楽風ありの小曲の数々。「愛の主題による三章」は男女を哀愁で彩りを添えて奏で、「電話」はドタバタ喜劇のような展開。圧巻は「ゆうやけの歌」。野蛮かつエロティックな「フランス近代」を詰め込んだ合唱曲。酸いも甘いも噛み分けただろう9人の伊達男たちの和声に酔いしれた。時を得顔で彼らを紹介する湯山氏がイケメンホストに囲まれたマダムに見えたのはご愛嬌。ラストの「思い出の高山」に会場展望室でみた青い空に映える白い飛騨山脈を思い出しチルアウトしたのであった。 

コヲ イチロヲ(フリーライター)

『脳内で音が踊り、視覚野を刺激する音楽たち』

 澄んだ空気と街並みの雰囲気が抜群によい、アルプスの山々に囲まれた飛騨高山という場所で、貴重な体験をした(コロナ対策は万全だったのでご安心を)

 

「音楽に合わせて、あたかもビジュアルが目の前に広がる世界」。

 湯山昭氏の音楽は、誤解を恐れずに言うと、不協和音のように感じたかと思えば、それさえ次第に心地よくなっていく上に、そこからさらに心地よい音に急転換していく、そんな不思議な感覚にさせられる。旋律、リズム、楽器の音や合唱の声、音のバランス、どれをとっても、(湯山さん言わく)大衆に愛されたクラシック作曲家とは思えないほどモダンで、いまの時代でも前衛的であり、色褪せあることがない。音の一つ一つの粒が、それが合わさった音の群集が脳内に響く音楽である。

 私にそのような能力は備わっていないが、心理学で言われている「共感覚(シナスタジア)」を体験した気分になる。ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象で、音に色を感じたりする感覚である。

 仕事がら、日々、人の心を動かす体験や体感を追求し、もがいている私にとって、それは特別な体験であった。そして何より、生音はよい! コロナ渦でコンサートやライブに気軽に行けなくなっている中、デジタルでオンラインな社会へ加速して行けば行くほど、その時間、その空間だからこそ肌で感じる空気感は、何ものにもかえがたい至高の体験となる。いずれも実力派のアーティストの皆さんにより奏でられる湯山昭氏の音楽で、それをリアルに実感した。

いつもより近くて大きく感じる満月のもと、帰りに立ち寄った下呂温泉にひたりながら、そんな感動を噛み締めていた。

安藤 摂(JAMSWORKS Co.,Ljd. 取締役 XRプロデューサー&ディレクター)